この写真は去年僕が一人で日光東照宮に旅行に行った時に撮った写真です。
カッコよくて思わず撮っちゃったのですが、一年後この言葉をしみじみと感じているとはね。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。
意味は、
人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。
不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。
心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ。
がまんすることが無事に長く安らかでいられる基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。
勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。
足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている。
というような意味です。
人生の終盤にさしかかって自分の時代を築いた家康だからこそ胸に重く響きます。
僕は若くして成功を収めたいと強く思っていたのですが、この家康の言葉を改めて見て、40代とかでもいいかもねと感じるようになりました。
この感覚は今までの僕の中にはなかったので、ちょっと気が楽になりそうです。家康様ありがとうございます。
そして、不自由が当たり前だと認識すれば生きる上でとても自分が楽になりそうだと思いました。
当たり前、確かにその通りですね。
世の中思い通りにならないことだらけ。
世の中理不尽なこと、不自由なことだらけだというようなことは思っていたのですが、それが当たり前だという認識はなかったです。
なるほど、当たり前。当たり前なのか。
なんか気が楽になった。なんか嬉しい。家康様ありがとうございます。
こういう偉人の言葉って、人生のマトを得ているというか、現代でも広く通用するような価値観を内包しており、悩んでいる時とかに目を通すと心が少しずつ浄化されてゆく。
家康様の遺訓に感化されて僕も一つ作ってみました。
今日の精神状態はゲロみたいな精神状態で、危うくうつ時代に逆戻りしそうな気配が漂っていてマジ最悪でした。
俺の心は砂漠の我愛羅
俺の心は砂漠の我愛羅
指の隙間を閉じてくれ
愛と希望がサラサラサララ
時間と共に消えていく
俺の心は砂漠の我愛羅
誰も愛しちゃくれないが
俺も愛などいらないと
強がる心はサラサラサララ
俺の心は砂漠の我愛羅
やっぱり愛する人が欲しい
ひとりぼっちの俺の心は
やっぱり誰かの愛が欲しい
まとめ
今日はとても寂しかった
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