電車の中で初めてトリーチャー・コリンズ症候群の人を見た話

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仕事帰りの電車の中で最近、トリーチャー・コリンズ症候群の人を見た。

電車のドアが開くと一目で(あっ、トリーチャー・コリンズ症候群の人だ)と思った。

その人は電車の入り口付近の壁にもたれてスマホを見ていた。

マスクやメガネなども特にせず、普通に電車の中にいた。

以前「顔ニモマケズ」という本を読だことがあってトリーチャー・コリンズ症候群のことは知っていた。

だから当事者の辛さを思うと胸が苦しくなるし、僕も精神的な障がいを持っていて社会的に少数派の立場だから、その人を見た瞬間話しかけてみたいなと思った。

親近感が湧いたというか、障がいに起因する苦しみやつらさを抱く同じ少数派として仲間意識みたいなものを感じた。

でも、その人を見ても、普通の人と全く変わらない様子だった。

ほんと、普通に電車の入り口付近の壁にもたれてスマホでゲームをしていた。

全く周りの目を気にした感じがなかった。

つらい気持ちを乗り越えたのかなこの人と思って、少し苦しくなった。

どんな人生を歩んできたんだろうって。

周りの偏見や差別的な目に晒されるのはやっぱりつらいことだよ。

周りがそう思ってなくても自分が偏見に晒されてるんじゃないかと思って苦しくなることもある。

その人と一緒に話してみたいなと思ったけど、僕は奥手な人見知りだから声をかけることもできず、結局二駅ほど行ってその人は降りて行ってしまった。

僕の経験なんだけどさ、周りと違うというのはつらい。

周りが普通にできることができないというのはつらい。

仲間はずれというか、孤独感も押し寄せてくる。

なんでこんなことができないんだって自分も責めるし、どんどん悪い方向にハマっていく。

そして最悪のケースとしては、その苦しみが社会に対する憎しみに変わり、社会に実害を与えてしまうこともありうるだろう。

僕はハッキリ言ってそういう感覚に襲われたことがある。

社会が憎い、この世の中が憎い、この世界を困らせたい。

自分を苦しめるこの世界に復讐してやりたいって。

結局自分は運が良かったのかな、悩んだり苦しんだりしながら時間を経てそういう自分をだんだん受け入れていったけど、そのプロセスはめっちゃしんどいもの。

正直自分自身受け入れることができた部分もあるし、まだ受け入れることができてない部分もある。

なんでこんな風に生まれたんだろうって暗い気持ちになることもよくある。

だから、周りと違っていたり、障がいを持ってる人のこういう気持ちを世間が分かってくれたらもうちょっとラクになるだろうになと思う。

だって、そのトリーチャーコリンズ症候群の人もそうだけど、そういう風に生まれつくことって自分じゃコントロールができないからね。

もしかしたら普通に暮らしているあなただって何かしらの障がいを持って生まれ、そのことによって同じように苦しんでたかもしれないんだよっていう。

まぁ、正直言ってこういう苦しみは当事者じゃないとなかなか分からないから、周りに理解してもらうには結構壁があるとは思う…。

でもこれは仕方ない。

別に健常者を責めることでもなんでもない。

だからこそ、同じ境遇を持つ人たちで支え合っていくことって大事だと思うし、だからそのトリーチャーコリンズ症候群と話したいなとも思った。

そして僕もブログやTwitterを通じてこうやって少しずつ障がいや生きづらさに関することを発信していって、小さなことからだけど、徐々に徐々に世の中の弱い立場にいる人たちへの意識が変わると良いなと考えてる。

最近世界中でLGBTの色々な運動が起こってるけど、これってLGBTの人だけじゃなくて、他のマイノリティ側にいる人たち全般にとってもすごく勇気が出ることだと思う。

こういう地道な運動や活動等を経て、社会の考え方も変わっていけばいいなと思う。

後日談

その後、また電車の中で冒頭のトリーチャー・コリンズ症候群の人を見た。

で、話しかけようと思ったが結局できなかった。

しょぼーん。

結局人見知りなのも、まぁ、個性だよね(笑)

前向きに考えよう。

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