性善説と性悪説。
別に全ての人間を一括りにして人間の性質は性善説の考え方が正しい!なんてカテゴライズをするつもりはないが、俺個人は性悪説的な考え方で今生きている。
他人のことは基本信用してないし、芸能人の不倫報道とかを見るとそりゃ不倫ぐらいするだろうと思う。
人間は誰でもケダモノの部分を持っていて汚いものだというのが俺の人間観の根底にある部分だから、これは性悪説っていうものであるんだろう。
でもこんな俺でも昔は性善説的な考え方だった。
他人の幸せを願い、積極的に善を行い、道徳的に正しくなければいけないという考え方だった。
だから今と昔では考え方が真逆だ。
そして今後の人生を歩んでいくなかで今の考え方と昔の考え方のどちらか一つを選んでそれで生きていけと言われたら、迷わず今の考え方(性悪説的な考え方)を選ぶ。
では、なぜ俺が性悪説側を選ぶのか。
性善説と性悪説の両方の考え方で生きた俺の考えを述べる。
性悪説ってちょっと名前がアレだけど、でもメリットって結構あるんだよね。
性悪説的な考え方で生きていくと、こんなに人生は豊かになる。楽になる。
他人に裏切られてもヘッチャラ
周りの人間はみんな本性ケダモノだというどこかドライな見方をしているから、例え裏切られても「…あいつのこと信じてたのに…ッ!」っていう感じで深く傷付いたりすることがない。
金銭面で損したなどの具体的な不利益だけで落ち込み、それ以上深くは落ち込まなくなる。
だから性悪説的な見方をしていると精神的な消耗が少なくなるので、人生がより豊かになる。
他人に対して強気な態度に出れる
相手のことに配慮してなかなか言いたいことが言えなかったりするだろう。
しかし相手はケダモノだ。よくよく考えると、まぁそれほど配慮する必要もない。
そうすると、例えば「金貸して」も断れる。
金を貸さないことでの相手への申し訳なさや、自分の器の狭さを省みる必要がなくなる。
自分の道徳心の低さに嘆く必要がなくなる。
また、相手に配慮しすぎることもなくなってくるので、こちらの要求を相手にぶつけやすくなる。
そうすると自分の思うこと、やりたかったことが実現する可能性が高まり、結果人生が豊かになる。
全体的に見て一番利益の大きい判断ができる
部分部分でチラついてくる道徳心にゴールへの道筋を振り回されることがなくなるので、結果的に一番利益の大きい判断ができる可能性が高まる。
例えばマイケル・サンデルの「これからの正義の話をしよう」で出てくるような「一人を見殺しにすればその場の全員が助かるが、一人を助ければその人以外の全員が死ぬ。さぁどっちを選ぶ」という問いにも「一人を見殺しにする」と答えることができるようになるだろう。
つまり、「全員の命を助けたいが、目の前の一人の命も助けないといけないんだ!」というような道徳心から出てくる視野狭窄に陥らずに済む。
性悪説で生きていると、全体として何が一番ベストな判断なのかを考え、そして冷酷と言われるだろうが一人を見殺しにする判断をすることができるだろう。
性善説で生きている人間には絶対にできないであろう判断だ。
しかしこれでより多くの人数の人間が助かるのだから、より多数のその場にいた人、もしくはその家族たちから感謝されるだろう。
その結果人生は幸福に満ち、豊かになる。
相手のことで落ち込んだり凹むことが圧倒的に減る
冒頭の「他人に裏切られてもヘッチャラ」と少し被るかもしれないが、他人に対して期待していないので相手にされることで深く落ち込まなくて済む。
相手が待ち合わせに遅れるとか、ドタキャンされたとか、理不尽なことをされた、言われたとか、そういったことに必要以上にクヨクヨしなくて済む。
相手はやはりケダモノや汚い部分を隠し持っている「人間」であり、そういったことをすることはある種当然なのだ。
それが普通というか、そういうものなのだ。
だから性悪説で生きていると必要以上に人間関係で悩む必要がなくなり、結果人生は豊かになる。
加点方式の思考になり人生得をする
他人を評価する時、減点方式の弊害がよく語られるが、世の中やはり減点方式思考の人は多いと個人的に感じる。
「あの人は○○をしたからダメだ」とか、「あの人はこういう人だからダメだ」みたいな減点方式が多い。
しかし性悪説で生きていると、そもそも他人はみんな0点なので、結果的に他人の良いところを発見しやすいし、他人を適切に評価することができると思う。
「あの人は○○だけど、でも○○が出来るから凄いよね」という風な思考になってくる。
こういう加点方式思考はこれからの時代絶対に必要になってくるので、こういう考え方ができる企業とかが伸びてくるんだろうとか勝手に個人的に考えてる。
加点方式だと他人の良い部分に目がいきやすくなるので、結果人生は豊かになる。
まとめ
ここまで性悪説の考え方で生きていくとこういうメリットがあるんだよということを述べてきた。
性悪説や性善説みたいなのって個人の考え方だから、もちろん強要するつもりはないし、どっちが正しいかなんてものでもない。
しかし性悪説にも良い部分はたくさんあるので、やはりそれを紹介したかった。
「性悪説」っていう言葉のイメージが良くないから、そんなイメージだけで語られるのは勿体無いと感じる。
まぁ、反道徳的なことがたくさん書かれてるから、そういうのが苦手な人はこういう考え方もあるんだよって参考程度にこの記事を見てもらえたらいいです。
コメント