所詮人間なんて社会から必要とされなければ終わり。どんなに能力があっても

感じたこと

時代の制約って大きい。

環境の制約って大きい。

どんなに志があっても、能力があっても、社会に必要とされていなければ終わりだと思う。

社会に必要なものこそが生き残る。

それがこの世の中だと最近思う。

例えば今全国で選挙をめっちゃやってるけど、候補者に志があるのか、どんな能力があるのかじゃなく、有権者に選ばれるから当選するんだと思う。

つまり社会に必要とされなければそれで終わり。どんなに志や能力があろうと。

確かに志や能力は必要だと思うが、果たして志や能力があるから選ばれるという順番が正しいのか?と疑問に思う。

周りに必要とされるから選ばれるんじゃないか?と思う。

例えば坂本龍馬が江戸時代の初期に生まれていたとする。

多分田舎の片隅で当時の平凡な人生を過ごして幕を閉じたに違いない。

外国からの脅威もなく、新しい国家なんて作る必要がなかったからね。

龍馬が歴史に名を残せたのは、幕末に生まれたからだと思う。

そういう意味では、その人が何を成すかは時代の制約、環境の制約というものが非常に大きいと思う。

その時代の社会に必要とされているかどうかが大きいと思う。

一個人なんてこの世界じゃちっぽけすぎる。

凄い能力を持っていても、時代や環境に合っていなければ表舞台には出てこないだろう。

もちろん自分が何もできないことに対して言い訳をアレコレ考えているわけじゃない。

自分のやるべきことはきちんとやる。

でもダメならダメ、無理なら無理で仕方ないなとも思うということ。

歴史上で成功をした人は、今までの歴史上生まれてきた沢山の人間の中の本当に一握り中の一握りで、物凄くラッキーな人だった、ただそれだけのことだと思う。

もちろんその人が周りからの批判やプレッシャー、場合によっては命を賭して大きな功績を残したことは素直に凄いことだと思う。

ものすごいエネルギーがいることだろう。

そこは本当に凄いと思う。

けど、まず、とてもラッキーだったという前提があってのことだと思う。

ここでこういうことを言ってもその人たちのすごさが変わるわけではないが、自分の中で少し認識が変わってきた部分があったから、こうやって書き残しておく。

この自分が考えたことを踏まえてこれからの自分のことを考えた時に、もう何とでもなれば?って思った。

自分じゃこの先の人生についてコントロールなんてできない。不可能。

だからもう何とでもなればと思う。

しかし自分のやるべきことはしっかりとやる。

一個一個壁は越えていく。

でも、その先はもう知らない。

人事を尽くして天命を待つ。

その先のことなんて知らない。自分じゃどうすることもできないから。

決めるのは社会だ。時代だ。

だから何とでもなればいい。

また途中で人生挫折して、もうダメだと思ったらダメでいい。

道が拓けそうならその道を進んでく。

人生の流れにある程度身を任せる。

あと、俺は社会不適合者を貫こうと思う。

もう一切治さない。決めた。

問題だらけだけど、誰が治すかこの野郎。

時代が移ろい、俺みたいな社会不適合者がひょっとどこかで必要になることがあるかもしれない。

そういうことも踏まえてチャンスを残しつつ、俺は社会不適合者を貫く。

ゆえにこのサイコブログの更新は止まらない。

むしろ加速する。

やってやるぞおおおおおおお

開き直ったシャフテキローストビーフ一人前をとくと見よ。

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